皆さま🌹ベルサイユのばらの中での大きな事件⚡『首飾り事件』をご存知ですか?
王室、貴族・・・ベルサイユ宮殿・・・そしてパリの民衆も巻き込んだ大事件!
『この首飾り事件』はベルばらの漫画の中だけの話ではないようです。
今回は首飾り事件💎について事件に関わった首謀者や結末を、分かりやすくご紹介していきたいと思います。
ベルサイユのばらの首飾り事件は実話?漫画では何巻?
首飾り事件は、1785年、フランスで起きた実話の詐欺事件です。
詐欺の内容は、ヴァロワ家の血を引くと称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、王室御用達の宝石商ベーマーから160万リーブル(金塊1t程度に相当する)の首飾りをロアン枢機卿に買わせ、それを王妃マリー・アントワネットに渡すと偽り騙し取りました。
典型的なかたり詐欺です。
ベルばらでは、『首飾り事件』は実話を元にオスカル達を絡め話が進みます。
『首飾り事件』のお話しは、漫画では3巻~4巻に登場します。
私はベルサイユのばらの漫画を読んで『首飾り事件』を知りました。
私は人間って、こんなにも人の話だけで簡単に騙されるものなのかなぁ?と子供心に不思議に思ったことを覚えています。
マリー・アントワネットの首飾り事件を簡単に!
宝石商シャルル・ベーマーとそのパートナーであるポール・バッサンジュは、先王ルイ15世の注文を受け、大小540個のダイヤモンドからなる160万リーブルの首飾りを作製していました。
これはルイ15世の愛人デュ・バリー夫人のために注文されたものであったがルイ15世の急逝により契約が立ち消えになり、高額な商品を抱えて困ったベーマーは、首飾りをマリー・アントワネットに売りつけようとしました。
しかし、マリー・アントワネットは高額であることと、敵対していたデュ・バリー夫人のために作られたものであることから購入を断りました。
そこでベーマーは、王妃と親しいと称するラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼したことから事件は始まります。
ベーマーからマリー・アントワネットへの仲介を依頼されたラ・モット伯爵夫人は、首飾りの詐欺を計画します。
1785年1月、ラ・モット伯爵夫人はロアン枢機卿にマリー・アントワネットの要望として首飾りの購入代理購入を持ちかけます。
伯爵夫人は、前年の夏、娼婦マリー・ニコル・ルゲイ・デシニー(後に偽名「ニコル・ドリヴァ男爵夫人」を称する)を王妃の替え玉に仕立て、ロアン枢機卿と面会させており、ロアン枢機卿は念願の王妃との謁見を叶えてくれた人物として、伯爵夫人を完全に信用しました。
ロアン枢機卿は騙されて首飾りを代理購入しラ・モット伯爵夫人に首飾りを渡しました。
その後、首飾りはバラバラにされてラ・モット伯爵夫人の夫であるラ・モット伯爵(及び計画の加担者達)によりロンドンで売られました。
しばらくして、首飾りの代金が支払われないことに業を煮やしたベーマーが、王妃の側近カンパン夫人こと、アンリエット・カンパンに面会して今までの経緯を確認した事により事件が発覚しました。
皆さま!すごくないですか?首飾り一つでこんなに王妃を巻き込んでの大規模な詐欺だなんて!
私は240年ほど前の事件ですが、令和である今でも立派なサスペンス劇場になるのではないかと思います。
バックミュージックが流れてきます~♪ジャジャジャ~ン(^^♪
首飾り事件の首謀者は?
1785年8月、ロアン枢機卿とジャンヌ・ラ・モット伯爵夫人、ニコル・ドリヴァは逮捕されました。
ラ・モット伯爵夫人はこの時、ロアン枢機卿と懇意であったが事件とは無関係とされる医師(詐欺師)カリオストロ伯爵を事件の首謀者として告発し、カリオストロ伯爵夫妻も逮捕されました。
なおラ・モット伯爵はロンドンに逃亡して逮捕されませんでした。
しかし、首飾り事件に激昂したマリー・アントワネットは、パリ高等法院(最高司法機関)に裁判を持ちこみます。
1786年5月に判決が下され、ロアン枢機卿はカリオストロ伯爵夫妻、ニコル・ドリヴァとともに無罪となり、王妃と愛人レズビアン関係にあると噂されたラ・モット伯爵夫人だけが有罪となりました。
ただ、実際は個人的にラ・モット伯爵夫人は王妃マリー・アントワネットと会ったことはありませんでした。
ラ・モット伯爵夫人は「V」(「Voleuse」で泥棒のこと)の文字を両肩に焼き印されて投獄されました。
この裁判によりマリー・アントワネットはラ・モット伯爵夫人と愛人関係にあるという事実無根の噂が広まり、伯爵夫人は後にこの虚偽の醜聞をもとに本を回想録として出版し収入を得ることになります。
私は首飾り事件の首謀者はジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人だと思います。
元々、ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人は、王妃マリー・アントワネットの親しい友人であると吹聴してルイ・ド・ロアン枢機卿に取り入り、王妃の名を騙り金銭を騙し取っていました。
また、宮廷地司祭長の位にあったロアン枢機卿は、ストラスブールの名家出身の聖職者でありながら、大変な放蕩ぶりでも知られていた為、マリー・アントワネットに嫌われていました。
しかし、ロアン枢機卿は諦めることなく、いつか王妃に取り入って宰相に出世することを望んでいました。
私はジャンヌとロアン枢機卿、お互い欲の塊で引き寄せされたのではなかと思います。
ただ、すごいですよね・・あったことのない人、その人はフランスの王妃!王妃マリー・アントワネットを相手に巻き込んで・・・
ベルサイユのばらでは、ラ・モット伯爵夫人はロザリーの姉ジャンヌとして登場します。
裁判の時、マリー・アントワネットとオスカルも愛人関係だとジャンヌに傍聴人の前で嘘の発言をされオスカルは大激怒!オスカルも身に覚えのない大変失礼な巻き添えを食らっています。
しかし、なかなかの度胸と頭のキレ・・・ジャンヌという女性、口ひとつだけで王妃を巻き込み詐欺を働くとは・・・(-“-)
私は犯罪を推奨するわけではないですが、ちょっと憧れます✨
転んでも、ただで起き上がらない強い女性ジャンヌに・・・
首飾り事件でマリー・アントワネットはどうなったの?
フランスでは、首飾り事は終了するも、事実に反して王妃の陰謀によるものとして噂になり、マリー・アントワネットを嫌う世論が強まりました。
また国王ルイ16世は判決直後、無罪となったロアン枢機卿を宮廷司祭長から罷免、オーヴェルニュのシェーズ・ディユ大修道院に左遷しますが国民の反感を買うことになります。
ただ、ロアン枢機卿はもともと評判の悪い堕落した聖職者でしたが、ロアン枢機卿の左遷を批判した多くの人々はそれを知りませんでした。
史実においての事件は、ほとんど世間に出ていなかったマリー・アントワネットの評判を決定的に貶めただけのようです。
この事件をきっかけにマリー・アントワネットはフランス国民から憎悪をむけられ、マリー・アントワネットの非業の死と関係したのかと思います。
私は、今も昔も人間は本当の事実を知らないで過ごしていいることが多いのではないかと思います。
いかに噂だけで物事を判断してしまうのか・・・
ベルばらで登場するオスカルのように、実際に地位も名誉も関係なく王妃マルー・アントワネットを敬う友人が、王妃のそばにいたたら・・・フランス王家も変わっていたのでしょうか・・・
私は、首飾り事件は誰も幸せになっていない、フランス革命に隠れた悲しい事件だったのでないかと思いました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
これからもベルばら🌹の素敵なお話しについてご紹介していきたいと思います。
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